『逝きし世の面影』と考える過去と現代の日本人について
CREATED: 2026 / 05 / 06 Wed
UPDATED: 2026 / 05 / 06 Wed
現代の日本人
この前までポリコレと呼ばれていた、ほとんどの常識的な人にはよくわからない、むしろ反対に性差別と見做されるようなことが、最近になって徐々に落ち着いてきたように思えるのは僕だけでしょうか。
特に僕はゲームが好きなので、ゲーム界隈でそのようなポリコレを考慮した表現によって、外面的な表現が損なわれるような作品をこの数年見てきました。例えば、『ラストオブアス パート2』、『ホライズン』、『アサシンクリード シャドウズ』といったものですね。まあ普段僕がやるゲームではないのでそこまで関心はなかったのですが、しばしばこの手のポリコレ表現たちが話題になって炎上したりしていたのはそこまで古い記憶ではありません。
それも最近は落ち着いてきた感じがするような気もするのでちょっとは平和になったのかなとは思ってきていますが、だからといってポリコレを大切にしようとしている人が世の中から消えることはないのでしょう。彼ら彼女たちに消えて欲しいなんてことは思いませんが、僕の生活や趣味の領域には入ってきてほしくないものだなとは思ってしまいます。
でも、こういうポリコレみたいな考え方ってそもそも日本にあったんでしたっけ?
僕が子供の頃はどちらかというとより表現の自由が広く認められていたように感じています。昔はコンビニでも成人向け雑誌が子供にもよく見える範囲で販売されていましたが、こういうコンテンツのゾーニングも今は結構厳しくやっているイメージです。
確かにゾーニングは大切だと思います。僕は個人的にどのような表現も拒否しませんが(ただし、すべての表現を受け入れるわけではありません)、世の中のたくさんの人々が同じような感覚で生きているとは限りません。特に個人が尊重されるような社会で不用意に過度な表現を柵を設けずに露わにするのは、リスクを考えなさすぎていると思えてしまいます。
僕は大学時代の卒業論文で売春について論じたのですが、その時に読んだ色々な本の中で昔の日本人はどちらかというと性に対して奔放であったということが述べられていました。現代の多くの日本人はどちらかというとこの傾向とは逆を行っているように思えますが、このような考え方はポリコレとも並走するものではなさそうです。日本とはそもそもポリコレ的な考え方を許容できない国なのでしょうかね。
ポリコレを支持している日本人が多くいるとも思えませんが、どちらにせよこれは思うに日本人の純粋な心から生まれた考え方ではないように思えます。僕は元々そういう考え方を持っている人間ではあったのですが、『逝きし世の面影』を読んでみてより一層その感を強めた次第です。
ちょっとその辺僕の考え方を交えてまとめてみます。
『逝きし世の面影』
『逝きし世の面影』は去年の春に読み始めたのですが、5 章まで読み切ってから仕事や趣味が忙しくなって読み進めるための時間をあまり確保できず、今年になってようやく時間を割いた次第です。
で、6 章から 8 章まで読み進めてみたのですが、読み進めるほど思うところがあり、文章にしたいなと思ってこのように書いています。
まあただの感想ですが、これを契機として今後民族風俗タグでこういう話をしていきたいなあと思ってます。
とにかく話を戻しますが、現代におけるポリコレのような西洋や北米の考え方が日本にもたらされ、それまでの日本における行動様式を漂白してしまうことは幕末および明治初期の時代にもあったようです。
ポリコレが現代日本人の行動様式を漂白した事実はなく、どちらかというと全く失敗した外来思想ではあると思っていますが、それでも一部の少数の日本人に影響を与えたことは間違い無かろうと思っています。もともとフェミニストを自称する人たちが日本にもいたので、こういう人たちを饒舌にさせる口実にもなっただろうと思います(こういう考え方を標榜する人たちはなぜ逆に差別的になっていくのでしょうね)。
一応前もっていうと、このような文化や思想や行動様式が変容して時代と共に流れていく事実について、それが良いとか悪いとかを論じるつもりはありません。というよりも僕はそういう無形のものを感じることができなくなってしまうことをただただ残念に思っているだけです。そして、それも一つのエゴであることに変わりはないのでしょう。
かつて日本にあった混浴という習慣
江戸時代、徳川の時代の銭湯では混浴は一般的でした。
今となっても混浴ができる温泉は存在しますが(現代においては設備上の理由にもよる)、決して一般的な温泉の入浴形式ではないでしょう。
『逝きし世の面影』では、幕末から明治初期に日本にやってきた西洋人やアメリカ人たちが当時の日本人をどのように描き、祖国にそれを伝えていったのかが紹介されていますが、そこでも混浴が外国人たちにどのように受け取られたかが述べられています。
特にキリスト教世界の人々にとっては混浴は淫らで品がないもののように映ったようですが、そのような日本人の習慣を外国人である自分たちの目で評価することはできないとする人々がいたことも事実のようです。
例えば、スイスの通商調査団の団長として1859 年(安政六年)に初来日したプロシア人のリンダウは以下のように記しています。
各々の人種はその道徳教育において、そしてその習慣において、自分たちの礼儀に適っている、あるいはそうではないと思われることで、基準を作ってきているのである。率直に言って、自分の祖国において、自分がその中で育てられた社会的約束を何一つ犯していない個人を、恥知らずもの呼ばわりすべきではなかろう。この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通り玄関先で娘さんが行水しているのをみても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集まるどんな年齢の男女も、恥ずかしい行為をしているとは未だ思ったことがないのである。
『逝きし世の面影』 pp.302~303
どちらにせよこのような日本人の振る舞いには良くも悪くも羞恥心が欠けているからであると当時の西洋およびアメリカの人々には受け取られたようですが、それは何も日本人が恥知らずであるということではないとリンダウは言います。
また、1876 年に訪日したエミール・ギメ(世界有数の東洋美術館として知られるパリのギメ博物館の創設者)は、日本人はそのような裸体についての羞恥心を持ち得る前の段階にいるのであり、それは「罪以前のイヴ」なのであると言っています。
(外国人の)レディたちのおびえた叫び声が、今まで知られていなかった罪を明かしているのである。私ははっきりという。羞恥心は一つの悪習である、と。日本人はそれをもっていなかった。私たちがそれを彼らに与えるのだ。
『逝きし世の面影』 p.304
ですが、日本人のそのような裸体に関する羞恥心の欠如は何も全く意味のない考えから来ているわけではありません。
明治 22 年ごろに来日したモラエス(当時のポルトガルの軍人)は以下のように言っています。
日本人は、生活の事情上やむを得ないときには、裸体を恥しく思わない。恥しいのは、こうした事情のないのに、ただみえをはっていろいろな欲望を起こさせることである。日本の女は誰の前でも子供に乳房をふくませる。暑いときに、家の中で一心に働いている際は、戸外を通って内をのぞく者の眼に、裸に近い姿で映るかもしれない。だが誰も、やさ男を惹きつけて欲望を起こさせる目的で、着物の袖から腕を露わしているとは思いはしない
『逝きし世の面影』 p.310
また、1888 年(明治二十一年)、華族女学校教師として来日した米人アリス・ベーコンは、海辺の旅館で夏の一週を過ごしていた際に、浜辺で商売を終えた女が人目を憚らずに海水を浴びているところを見かけたと言います。その女が浜辺に戻ってくると、顔見知りらしい男がそこへ近づき、二人は平然と会話を始めたのだそうです(もちろんその女は裸であったといいます)。
アリスは以下のように残しています。
日本人の尺度によると、たんに健康や清潔のためとか、せねばならぬ仕事をするのに便利だからというので、たまたまからだを露出するのは、まったく礼儀にそむかないし、許されもすることなのだ。だが、どんなにちょっぴりでろうと、見せつけるためにだけからだを露出するのは、まったくもって不謹慎なのである。前者の例としては、開放された浴室や裸の労働者、じめじめした季節に着物をまくり上げて下肢をむき出しにすること、夏に田舎の子どもがまったく裸でいること、暑い季節には大人さえも、家のまわりや田園でちょっぴりしか衣服を身につけないのが必要とされていることがあげられる。後者の例としては、西洋の衣装がからだは完全に覆っているものの、腰から上の体型のあらゆる細部をあらわにしており、きれいな体型を見せつけようとしていることに、多くの日本女性が嫌悪を感じていることを申し上げておきたい。
『逝きし世の面影』 p.311
飽くまで日本人の露出は実用に適ったものであり、異性を惹きつけるためのいやらしい方法ではないということを、これらの国の違う外国人は説明しているのです。それがどこまで本当にそうであったかは分かりませんが、もちろんその中に異性を惹きつけるためにやっていた人がいなかったとは言えないでしょう。ただ、このような習慣が定着してしまえば、それが当たり前になって、性的表現としての効果が鈍るものなのかも知れません。ここに西洋人およびアメリカ人たちはその新鮮な目で彼らと日本人の違いを明確に見たのでしょう。
当時の外国人の観点でいうところの日本人の裸体に関する羞恥心は現代の日本人にとっては当たり前なものとなっていますが、このような羞恥心が西洋から持ち込まれ、日本社会とその成員である個々人の心に植え込まれていくのはそれほど時間がかかるものではなかったのでしょう。
以下もモラエスの抜粋です。
三十年ほど前までは、都会の銭湯の広々とした浴槽は男女とも一つだった。その後、外国人の道学先生流の非難によって、浴槽の間に仕切りができて、一方では男が、片方では女が入浴するようになった。さらにその後、外国人の道学流の非難が止まないので、壁で遮断して完全に男女を分けてしまった。
『逝きし世の面影』 p.313
といっても、当時はまだ混浴の習慣が残っていたようで完全に消えてしまったわけではなかったみたいですが、それでも少なくなっていったのは事実でしょう。西洋の羞恥心が当時の日本社会に対してこのような習慣を悪癖とみなし、そのような思想が広がることで、日本人自体もそれに対する恥に目覚め、次第に内側から混浴の習慣を忘れていったということなのではないでしょうか。
1886 年に来日した米人画家のラファージも、このような漂白というか、無形の習慣や行動様式が消えていくことを残念に思っていたようです。
ラファージが日光への旅で、ある茶店に休んだ時、「女の馬子たちは腰まで衣服を脱ぎ、男の目もはばからずに胸や脇の下を拭ったりこすったり」した。しかし彼がその姿を写生しているのに気づくと、「まるで私がその裸体を不都合とでも思っているというような様子で、急いで袖や長上衣を露わな肌にひっかけた」。ラファージは馬子たちのはばかりのなさにはおどろいたかも知れないが、もともと画家であるから、裸体を怪しからぬものとは考えていなかった。「日本の道徳は着衣の簡単さによって一向損なわれないし、また芸術家から見るなら当然のことだが、法律にはいたって従順にできている民族に流れ込んだ新しい観念が、これらの習慣(裸体をことさらに羞じぬ習慣=筆者注)を変えていくのは残念なことだ」と彼は述べている。
『逝きし世の面影』 p.309
それが良いとか悪いとかそういう話ではないと思いますが、ある時代とそこに生きる人々の心や思想や習慣や行動様式が、別の勢力に追い立てられて消えていってしまうのは決して喜ばしいことでもないのではないでしょうか。
を仕舞い
現代においても、出羽守などがしばしば海外の思想や流行を輸入してきて日本もこれに倣うべきということを言ったりしますが、それを善悪で判断すべきではないと思います。
功利主義的な考え方もありますが、ただひたすら(損得の天秤に関わらず)心に従うのが最も自然なのでは無かろうかと思ってます。たとえそれが他者にとって悪癖と映ろうとも、実用に適ったものであればそれを信じてやってもいいのかなと(ただし、最も良くないことはそれが人に迷惑をかけることです。それが本当に人に迷惑をかける悪癖なのであればやめるべきです)。
まあ、ポリコレと並べて話すことではないですが、裸体に関する感じ方考え方は日本でも尤もだと思われたからこそ、現代ではそんな男女で裸を見せ合うことなど恥以外のなにものでもないという思想が定着しきっているわけですから、これも日本人の心に従った結果なのかも知れないです。