売春の社会史 — 売春合法国と非合法国の比較考察
CREATED: 2026 / 05 / 06 Wed
UPDATED: 2026 / 05 / 06 Wed
はじめに
「売春」がどのような過程をもって営まれるようになったのかを知ることは、我々には永久に出来ないことであろう。何故ならば、霊長類のメスが、オスから餌を貰う代わりに性的サーヴィスを提供する事実(学術用語では「プレゼンテーション」と呼ぶ)から推測するに、それは遥か太古の時代、有史以前の出来事であると考えるのが最も合理的であるからだ。しかし、人間は歴史の真実を知ることが出来くとも、その隙間を可能性と推測によって穴埋めし、理性的に都合の良いように歴史を再構築することが出来るのである。そうすると、人間社会における「売春」、すなわち、男性が金銭を支払う代わりに女性がその肉体を彼に許すことと、この霊長類の習性を考慮すれば、「売春」という行為は貧困を背景とした経済的要因(ヒト以外の霊長類にあっては、飢えを背景とする経済的要因)のもとに発祥したと解釈されるべきなのではないだろうか、と思うわけだけれども、しかしながら、近現代の売春研究家たちの中には、「売春」の起源は聖なるもの、つまり、豊穣をもたらす神と巫女との交わりのようなものに求められる、と考える者も少なからずいるようである。彼らの考察も非常に興味深いものではあるが、そこには確固とした歴史的証明がないため、眉唾物の域を越えない。とどのつまり、「売春」の発祥は経済的理由によるものと考えてしかるべきであろう。
このように、売春は貧困と密接な関係性を持っているわけだが、我々が看過してはならないのは、この売春が貧困の問題だけに支えられているわけではないということである。確かに、貧困という事象がその最も大きな要因となっていることは否定しようがないけれども、売春の考察の際に知っておかなければならない前提がもう一つある。それはすなわち、男女の二重規範という問題であり、簡単に言えば、男性の放蕩はやむを得ないとする一方で、女性のそれは許されるものではない、というように、男女で異なった社会的イデオロギーをそれぞれに適用させていたという一種の差別的思想である。これは基本的に西洋の思想と呼べるもので、特に古代世界でキリスト教が広まるにつれて、次第に大きな力を得るようになった。
こうして西洋では古代から、女性は男性の社会から隔離されることとなり、彼女たちの経済的自立が困難になっていくにつれて、(従事する女性の心境はどうあれ)売春は女性が自立できるほとんど唯一の手段として都合のよい職業になりえたのである(一般的には女性の安定的な生活は結婚に求められていたが、自分を養える近親の男性が離婚や死別によっていなくなった時には女性が働くしかない状況もあったのである)。それがようやく改善されるようになったのは 19 世紀に入ってからのことで、それまでの男女の二重規範が西洋社会の中で女性進出を妨害し続けていたことは間違いなかっただろう。
既にここで触れたしまい、「売春」がどのように生まれ、どのような過程を経て、現代世界にまで受け継がれてきたのか、それらを研究することが本論文における大前提のテーマである。そのテーマの上に立って、私は特に、現代の売春合法国と非合法国の現状に焦点を当て、日本と西洋を中心とする世界との比較の中で、現代売春社会の考察を進めていきたいと思っている。以下、各章の構成について簡潔にまとめてみたので参考にしていただきたい。
第一章では、第二章以後に続く、日本と世界(主に西洋)における売春の比較に先駆けて、それぞれの売春に関する歴史的背景を理解するために、「売春統制の歴史(第二節)」を振り返っていく。第一節では現代世界における売春の一般的な解釈を説明する。詳しくは第一章の冒頭を参照していただければよい。第二章からは、テーマである、「売春合法国と非合法国の比較考察」が進められる。冒頭では 19 世紀 20 世紀の女性解放運動から現代に至るまでのあらすじを簡単におさらいし、第一節「現代世界の売春」では、西洋を中心とした世界中の売春合法国と非合法国を順に紹介していく。第二節においては、特に売春合法国として非常に寛容な政策を行っているオランダと、売春非合法国である日本に的を絞って、それぞれの売春問題に対する姿勢の相違とその背景を考察する。そして、第三章では、第一章における売春の歴史的経緯、第二章における世界の売春の現状とオランダと日本の売春比較をもう一度振り返り、それらを総合的に考察したうえで、これを結論とする。
第一章 売春とはなにか
本章では、売春がどのように定義され、現行法において如何に規制されているのかを紹介し、また、以降考察の対象とする「売春合法国と非合法国の現状比較」のみならず、それらの歴史をも比較の対象に入れて、より広い視野で売春産業を捉えるために、世界の売春統制の歴史を振り返ろうと思う。第一節では現代における一般的な売春の定義を解説し、第二節ではヨーロッパ世界を中心とした売春統制の世界史から順に、日本史についても簡潔にまとめることにした。
第一節 一般的な売春の定義
古代のキリスト教聖職者たちや中世の法学者たちの間でも、何を売春としてみなす要因とすべきかという議論は、長きにわたって続けられてきた。経験人数や性的不品行など、様々な要因を彼らは考え出したわけであったが、実際にはそれらのほとんどどは売春婦を定義づけるものとしては完全なものにはなりえなかった。しかしそんな中、20 世紀初頭の性科学者であるイワン・ブロッホは、もっと包括的な定義を売春に対して定めていたようである。以下は『売春の社会史』(バーン&ボニー・ブーロー)からの抜粋である²。
ブロッホの説によれば、売春とは多かれ少なかれ淫蕩であることを特徴とする婚外性交渉の特異なかたちである。たいていは報酬をともない、性交もしくは他のかたちの性的行動と誘惑を目的とした専門の商売の一形態であり、やがて時とともに一つの特殊なタイプを形成してくものであるという。(『売春の社会史』p.12)
すなわち、金銭を対価に性的サーヴィスを提供する者だけでなく、ここではそのサーヴィスに勧誘する、いわゆる売春斡旋人やポン引きに関しても、売春の一部として言及されているのである。たしかに、売春統制(これは売春の排斥を目指すものではなく、あくまでその存在をある一定の条件下で認めながら管理統制をすることであり、ここでは公娼制における法的な取り締まりを指す)をする際には、娼婦たちだけを取り締まっても、それを搾取する人間を制御できなければ、売春という事象を統制したことにはならないだろうし、ブロッホの解釈からは、売春は女性だけの問題ではなく、そこには彼女たちを搾取する人間や男性という買い手の存在も深く関わっている、という前提も読み取ることが出来るだろう。
また、日本では民族研究家である中山太郎が『売笑三千年史』で売春の定義を行っている。
(売春の)定義については、この問題を取り扱う者の立場の相違から、広義にも狭義にも多少のひらきのあることは免れぬが、売笑史家の立場からいえば、要するに、(一)何らかの報酬を得る約束の下に、女子が多数の男子に許すということ、(二)同上の行為を継続的に営むこと、(三)何人に対しても報酬の約束が成立すれば許すことの三点が要件となっている。(『売笑三千年史』p.17)
中山の定義では、すなわち、女子が報酬を得る目的で、一人ならず複数の男子にその体を許し、これを継続的に営むことによって、売春が成立するという事になる(売春は必ずしも女性だけの職業ではないが、本論文では女性による売春だけを扱っている)。以上からわかるように、売春という事象に関しては、人類が売春を規制統制するようになってから様々な定義付けがなされたというわけで、それは国や文化によって多少の差異はあるものの、基本的には「金銭を対価に自分の身体を許すこと」として考えられるようである。
現代の日本では、昭和 33 年(1958 年)に売春防止法が完全施行され、直接的な性行為を伴わない性風俗店に関しては許可を受けて営業することは出来るものの、売春行為は違法となっており、その勧誘や周旋に対しても取り締まりが行われている³。斡旋やポン引きに関しては、それを悪とみる国とそうでない国があり、おそらくそのうち後者は、それらの勧誘、周旋にあたる行為を売春の一部としてみなしていないのかもしれない。とはいっても、斡旋やポン引きを罪とみなさない国の方が相対的に少ないようで、主に斡旋等の行為は多くの国で禁止または違法となっていることが普通である。つまり、それら売春を搾取する行為に関しても、禁止行為であり違法であると解釈することが、それが売春行為に含まれるか否かの認識は別にして、現代世界では一般的な志向であると考えられるべきだろう。
第二節 売春統制の歴史
近世、近代になると、西ヨーロッパで売春統制が活発化し、それ故に売春の定義付けが求められるようになったわけで、ブロッホの解釈もその意図を含んで当時の社会に発信されたものだと思われる。もちろん、それ以前の古代の時代からも、売春が法によって統制されることがなかったわけではないだろうが、それらの時代の人々は確固とした売春の定義を生み出すことが出来なかった。彼らの中では、経験人数や放埒であることといった、あまり参考にはなりそうにない推論からその定義が解釈され、そもそもそういった傾向は、売春とは専ら女性の問題であり男性にとっては必要悪である、という思想が当時の人々、特に男性の中で力を得ていた原因と考えられる。
西洋の公娼制度は主に、キリスト教的な禁欲主義の観点から行われるのであって、日本のように、専らそこに財源の確保を企てていたわけではなかったようだ。そういった社会の中では、いくら貧困に苦しんでいるといえども売春は売春、聖職者たちにとっては背徳行為に他ならなかった。ただ、マグダラのマリアのこともあってか、キリスト教徒たちは、売春婦であろうとも正しく改悛することによって神に救われる、と考えていたようで、ビザンティン帝国では、売春婦の救済撫護施設が設置されるようにもなった。
それでも近世、近代初期までの男性たちは、売春を女性の問題として扱い、売春の根本的な問題、すなわち、売春に従事しなければ生きていけないという問題にはあまり目を向けなかった。というのも、その頃の女性たちにとって最も安定した生活は結婚に求められたのであり、独り身の女性が経済的に自立する手段は売春以外にほとんど存在しなかったのである。これは男性が女性を一つの財産とみなすことによって、彼女たちの社会進出を妨害したことがそもそもの原因であるが、このような社会では、夫や父といった、自分を養ってくれる存在に恵まれない女性たちが行き着く先は、おおかた売春か死しかなかったのである。このように売春には男性の意識(女性に社会進出を認めない考え方)も深く関わっているのであって、近代初期まで売春問題の解決が捗らなかったのはこの認識の甘さや偏頗な男性中心社会が障害となっていたのだろう。それが問題にされるようになったのはようやく 19 世紀になってからのことで、現代では男女の社会的立場も大分公平なものになってきてはいるものの、それでも売春がなくなることはなかった。
さて、西洋の公娼制の歴史は、まず、1 世紀のローマ皇帝ガイウス・カリグラが、売春婦に対して公的に納税を課したことから、筆を進められるであろう。果たしてこの課税が確固とした公娼制の一部であったかは議論の余地があるが、公的に売春を認めて課税していることには相違ないはずである。その後はキリスト教の影響もあって、初期のビザンティン帝国では売春の排除を目的とする法整備が行われるなど、公娼制が容認されるはずもなく、中世ヨーロッパでも売春の取り締まりが活発化し、売春婦たちはある一定の区域に閉じ込められ、その中での営業のみを認められていた。しかし、この中世の政策は、当時の国家が娼婦たちを公に認めたわけではなく、貧困や男性の性欲を解決する必要悪としての売春をしぶしぶ容認しながら、且つ、様々な犯罪の温床になると考えられていた売春宿を管理統制するために設けられたと考えるべきである。そのころから女衒や斡旋人に対しても厳しい処罰が設けられていたようで、そういった人々は正業を隠れ蓑にして売春営業を続けるようになった。だが、中世の為政者たちは彼らの政策があまり効力を示していないことに気付いたのか、最終的にはそれを国家の財源として利用しようと公営化するところもあったようだ。たとえば、フランスのアヴィニョンにも公営の売春宿があったようで、そこでは身ごもった売春婦が堕胎に走らないためにも、週に一回売春婦たちは検診を受けていたのである。
近世になると梅毒の流行が売春に対する反発を促し、売春婦たちは肩身の狭い思いをしていたが、各当局の禁止政策の影響もあってか、その後梅毒は一旦下火になり、売春はその勢いを盛り返すことになった。しかし、18 世紀末から 19 世紀初頭、ナポレオン戦争によってヨーロッパ各地で再び梅毒が流行し、世間では売春統制の重要性が改めて説かれるようになった。売春婦の定期検診と登録制が欧州各地で義務化され、売春は厳しい取り締まりを受けることとなったのである。
しかし、こういった近世の公娼制度にも問題点があった。すなわち、売春婦に対してしか性病の検診をせず、彼女の相手となる男性には検診の義務はなかったという問題である。しかも、当時の警察は貧しい女性ならたとえ売春婦でなくとも、売春婦であると決めつけて検診を受けさせ、恣意的にその女性を売春婦として登録することが出来たのである。このような、あからさまに不平等な政策に対して、19 世紀に登場した女性解放運動はこの女性への一方的な統制基準に反発し、その影響を受けてかイギリスやヨーロッパ各国も取り締まりの不毛さを理解しはじめ、欧州に倣った統制を進めようとしていたアメリカに対して反対の立場をとるようにさえなった⁵。
また、この女性解放運動に加えて、コンドームやピルの発明も女性の社会進出に多大な原動力を与え、売春産業にも多少の影響力が働いたことであろうが⁶、それでもなくならないというのが売春である。
現在、売春に関しては、これを根絶することなどできないというのがほとんど常識となっており、それ故に世界では売春を合法化する国が次第に増えてきているようである(二章で詳しく述べる)。すなわち、この問題は、女性の地位や、男性の意識を改善することで解決することのできる問題ではなかったのである。ただ、近代の女性解放運動等が売春産業に一切の影響も及ぼさなかったわけではなく、それは売春に従事する女性たちに対して、以前と比べて比較的良好な環境を提供したことには間違いなかったであろう。
日本での売春の歴史も古くからあるようで、近年の売春を扱った書籍には、しばしば売春の起源が宗教と関連付けられている。邪馬台国の女王とされる卑弥呼や記紀に現れる神功皇后などは、御神託を聞くために神と交わった巫女であると考えられ、そこに娼婦の起源を想像するような人が多いようだが、果たしてそう断言できるだろうか。巫女が娼婦に先行して現れたのか、それともその逆だったのか、売春の起源が宗教と関連しているという確固とした資料はどこにもない。
しかし、8 世紀の『万葉集』には遊行女婦なる娼婦が現れており、彼女たちと当時の高官のかけあいがそこにつづられているのを見ると、娼婦がその時代に存在していたということは疑えないだろう。折口信夫が万葉人と呼ぶこの時代の人々は、男であろうが女であろうが自由な性生活を営んでいたとされ、貞操観念に関しても同じ時代の西洋のそれと比べてはるかに寛容であったようである。
みやびをと 我は聞けるを やど貸さず 我を帰せり おそのみやびを
石川郎女(『万葉集』巻第二)
訳)あなたのことを風流な人だと聞いておりましたが、わたしを泊めずに帰すほどに、あなたはのろまで退屈な人だったのですね
これは石川郎女が勝手に大伴田主の家へ押しかけて、やがて相手にされないことを知ると、このように悪態をついて歌ったようだが、この一首からも、万葉人たちの性に対する積極性を垣間見ることが出来るだろう。雄略天皇も『万葉集』冒頭の歌で、少女に求婚しているほどである。
こうした万葉人たちの文化の中で、当時の娼婦たちも奔放に生きていた、と想像するのは最も抵抗のない解釈であろう。娼婦たちは主に、交通の要衝となる港湾河口や宿駅に集まって、客を待っていた。
平安時代になると、歴史物語の『大鏡』や菅原孝標娘の『更級日記』などにも娼婦が現れて、彼女たちが殷賑を極めていた様子を垣間見ることができる。この時代の遊女事情を伝える書物としては、後の鎌倉時代で遊君別当⁷を考案した政所別当の大江広元の祖父である、大江匡房の『遊女記』が詳しい。以下はその引用である。
摂津国に至りて、神崎・蟹島等の地あり。門を比べ戸を連ね、人家絶ゆるなし、倡女郡をなしてやど舟にのせて旅館に着き、もて枕席を薦む。声は渓雲を超め、簾は水風に颺ひ。経廻の人、家を忘ずといふことなし。洲蘆浪花、釣翁商客、舳艫相成りて、殆に水なきがごとし。蓋し天下第一の楽しき地なり。
(大江匡房『遊女記』)
神崎・蟹島は現代の淀川の河口付近。遊女⁸たちが声高に客を求める姿が、水面が見えなくなるほどに舟で埋め尽くされた遊里一帯(そこは水上ではあるが)に眺められ、そこはまさしく、天下第一の楽しき世界であったのである。ここには、キリスト教に見られたような、性に対する固い印象は想像できないであろう。
平安末期の院政期には新しい種類の遊女が現れ、彼女たちは白拍子と呼ばれていた。それまでの遊女は歌唱をもって遊客を魅了していたのだが、白拍子はそこへ舞いを取り入れ、男の姿に扮して歌舞を披露したのである⁹。また、そのように遊女が増えたためでもあっただろうが、幕府が遊君別当を設けるようになったということが『吾妻鏡』に記されている。
こういった公娼制は、室町幕府にも受け継がれ、十二代将軍足利義晴は傾城局¹⁰を設置して、売春を認可制にし、また、年に十五貫文の税金を納めるよう遊女たちに義務付けた。安土桃山時代には、豊臣秀吉が京都の二条柳町に公許の遊里を設置(天正 17 年、1589 年)、徳川幕府以降も公娼制は存続し、旧吉原遊郭が現在の日本橋人形町の周辺に建設された¹¹。
吉原遊廓の遊女たちはもともと、地方から売られてやってきた少女たちが大半であった。これは父系制社会¹²や江戸時代における大飢饉がその原因であっただろうが、そのように売られた少女たちは、一旦遊女として働かされるようになると、その稼業から簡単に足を洗う事が出来なかった。ようやく明治 5 年、マリア・ルス号事件¹³をきっかけに芸娼妓解放令が出されると、人身売買が禁止され、娼妓たちのそれまでの借金も帳消しにされたが、それでも売春はなくなることはなく(借金がなくなったところで、働く術を他に持たない多くの元娼妓たちが行き着くのは売春しかなかったのだろう)、貸座敷数屋へと転業した元遊女屋が貧困に苦しむ元娼妓たちを店で働かせながら、本人の自由意志に委ねるという名目で売春をさせていたのである。結局、娼妓たちの地位はほとんど改善されなかったようで、それまでの奴隷制のような扱いとほとんど変わらなかったという。
しかし、19 世紀後半になると、海外からの影響もあり、日本でも女性解放運動が活発化し始めた。そして、1886 年(明治 19 年)に設立された日本キリスト教会婦風会の廃娼運動を契機に、娼婦たちの自由廃業運動が日本の各地で起こるようになった。1900 年(明治 33 年)には名古屋と函館で自由廃業を求めた訴訟が認められ、同年の 10 月には娼妓取締規則が制定、自由廃業が公に認められることとなったのである(これ以前は、自分の意思で娼妓を辞めることは出来ず、辞める際には妓楼の主人の印鑑が必要だった)。
このような経緯を経て、1958 年には、日本では売春防止法が完全施行されることとなった。つまり、この法律をもって売春が違法行為となったわけであったが、それは名目上のことであり、実際、売春は現在でも繰り返されている。現代では、江戸や明治期に比べて女性への待遇も改善してきているし、こういった売春行為はむしろ、若い女性たちの間では後ろめたい仕事というよりは、楽に稼げる都合のよいアルバイトとして考えられ始めているのかもしれない。昔と違って、単純に貧しいから春を鬻ぐわけではなく(現代でも、そういう理由から風俗産業に身を投じている人は少なくないだろう)、ちょっとした高級ブランド品を買うための一時的なお小遣い稼ぎに風俗売春を利用できる現代では、もはやこういった風俗産業がなくなることは不可能であるとしか言いようがないだろう¹⁴。とはいえ、ここまでくれば、風俗売春の消滅を声高に叫ぶような者は誰もいないだろうが。
日本と世界の売春統制史に共通することは、19 世紀から 20 世紀にかけての女性解放運動が各国の女性の社会的地位向上を促し、売春に関しても、それが無くならなかったのは確かだが、ある程度それに従事する女性の労働環境を改善したということであった。しかし、基本的に日本は世界とは大きく異なった、性に対する価値観をもち、独自の公娼制を維持してきたと言えるであろう。
日本の公娼制の始まりには確かな証拠はないものの、鎌倉時代ではすでに遊君別当という官職が登場し、次いで室町時代になると、幕府は傾城局を設置して公娼制を本格的に開始したが、これは中世や近世ヨーロッパとは異なって、専ら幕府の財政再建のために打ち出された政策であり、そこには宗教的な道徳の問題などはおそらくほとんど考慮に入れられなかった。西洋のような外の世界では女性の処女性が重視されているというのに、日本人たちはそんなことにはお構いなく、自由な性生活を営んでいたのである。江戸時代に海外から日本へやってきた旅行者たちは、日本の性に対する奔放さに驚きを隠せなかったという。
しかし、近代になって、日本と世界との交流も深まっていくと、日本はそれまでの性の奔放さに対して引け目を感じるようになった。明治 5 年のマリア・ルス号事件ではそういった日本人の後ろめたさから、芸娼妓解放令が出されたともいえるだろう。以降日本は、売春に対して厳しい態度で臨むようになり、昭和 32 年には売春防止法を施行開始、売春はその行為自体には罰則規定はないものの、法的には違法行為となったのである。
第二章 売春合法国と非合法国の比較
中世・近世ヨーロッパから伝播した公娼制の思想はやがて、近代になると海を越えてアメリカにまで広がりを見せることとなったが、19 世紀から盛んになり始めた女性解放運動によって、それは激しく糾弾されることとなった。売春統制は警察権の濫用を生み出し、利益よりもむしろ害悪を生み出しているに過ぎないとする意見が当時廃娼運動の火付け役の一人となったジョゼフィン・バトラー夫人(1828-1906)も売春に対するイギリス当局の体制には反感を抱いていたそうだ。その後、売春統制はヨーロッパで徐々に下火になっていったのだが、むしろこのような公娼制度は、売春の撲滅というはや不可能と思われる命題に対しての諦めからか、現代では徐々に受け入れられつつある。ただ、こうした売春自体は合法として認められながらも、売春の斡旋やポン引き等の、売春婦を搾取する目的の行為は(その国で売春が合法であるか、非合法であるかは関係なく)ほとんどの国が違法とみなしているようである。
現代日本でも売春の斡旋やポン引き等は違法行為であり、罰金もしくは懲役刑が科されることとなっているが、売春行為をした者については、それが違法であるとは認められているものの、罰金や懲役等の罰則規定は存在しない。建前上は非合法国として取り締まらざるを得ないわけだが、その実、売春が「自由恋愛」という仮面の裏側で黙認されているということを知らない日本人はほとんどいないだろう。
本章では、現代社会で増えつつある売春合法国と非合法国の比較対照を行い、そして、何をもって売春を合法、もしくは非合法とするのかというその根拠について、それぞれの社会的文化的背景の様態について迫っていきたいと思う。
第一節 現代世界の売春
19 世紀末ごろになると、女性解放運動や廃娼運動のほかに、「白人奴隷」¹⁵という言葉がヨーロッパで知れ渡るようになった。これは勿論、白人が人身売買の商品として扱われていたことを表し、先のジョゼフィン・バトラー夫人たちも当時この問題の解決に東奔西走していたようだ。
イギリスの人身売買は、昨年 2014 年に明らかにされた少女虐待事件においても行われていたようだが¹⁶、19 世紀末にはベルギーへの人身売買をしていたとしてこちらも当時大きな問題となった。後の調べによると、イギリスからはベルギーだけでなく、オランダやフランスにも白人少女たちが売られていたという。20 世紀に入ると、ヨーロッパ各国では白人奴隷対策として条約が結ばれるようになり、二度にわたる世界大戦で活動を中断せざるを得ない時期もあったが、1949 年国連総会では「人身売買及び、他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」(1951 年発効)が採択され、人身売買は勿論、売買春に関しても、斡旋等の搾取的行為や売春統制が禁じられることになった(実際にはこの条約はあまり強制力を持っておらず、人身売買についても売春と同じように扱われていたとして、当時は批判されていたようである)。ヨーロッパ各国ではこの条約に従って、それぞれの国の法律で人身売買や売春等に対する法律を整備するようになったが、そういった違法とされる行為に対する刑罰の対象は主に売春婦ではなく、それを搾取する側の人間となっており、各国政府には、売春を辞めた売春婦が社会復帰できる環境を整えるための努力が求められた。
このように、人身売買問題に対する取り組みが、売春という一種の身売りをも含めて行われ、19 世紀 20 世紀を通じて、売春婦たちの生活環境は次第に改善されていくこととなったわけであったが、その中では売春が必ずしも非合法となることはなかったようである。女性解放運動家たちの意見としては、売春は撲滅されるべきである、というのが一般的であったようだが、その中には売春の完全廃止に反対する人間もいたのである。ジョゼフィン・バトラー夫人もその一人で、彼女たちは売春を完全に廃止することは、売春婦たちの生き方の選択を侮辱することに繋がると考え、また、廃止によって貧しい売春婦たちが拠り所とするための救済措置がなくなってしまうのではないかと憂慮していた。そういった人々の意見も売春を非合法としなかった要因の一つとして数え上げられることだろう。しかし恐らく、売春が合法的に扱われるようになった背景には、売春は何をしようがなくなることはない、という推論があり、それがヨーロッパ各当局の廃止に対する積極性を削いでいるように思われる。
世界の売春合法国は、ヨーロッパの中だけでも、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、デンマーク、オーストリア、スイス、ギリシャ、ハンガリーなど、2000 年に入ってからはその数も徐々に増えてきているようだ。デンマークは 1999 年に 18 歳以上の売春は合法化され、翌年 2000 年にはオランダでも完全合法化となり、こちらは 16 歳以上なら売春で働くことが出来るようになった。ドイツは 2002 年から 21 歳以上であれば合法となっており、2010 年にはドルトムント市で快楽税¹⁷なるものが売春婦たちに設けられるようになった。
しかしながら、イギリス、フランス、イタリアなどの国では、売春は一応合法とされているものの、それは売春行為それ自体に限られているようだ。イタリアは日本と同じく、1958 年に売春防止法が施行されたようだが、その行為自体は非合法ではなく、斡旋等の売春の搾取的行為に関しては違法とみなされている。一見、カトリック社会と売春の共存には疑問が浮かぶことだろうが、衛星テレビ局 SKY がイタリアで行った売春規制のための赤線地区設置に関する調査では、回答者の 8 割以上がこの政策に対して賛成の意を表したという¹⁸。
イギリスもフランスも売春自体は合法で、その斡旋等の搾取的行為に関しては厳しく取り扱っているようである。それ故に、イギリスでは個人売春(Independent Escort)が行われ、新聞やインターネットで広告を出して個人的に営業しているわけであるが、日本のソープランドと同じような形態の、いわゆるマッサージ店を建前とする、マッサージパーラー(Massage Parlour)というものが存在し、これに関しては違法だとする意見もあるようだが、日本と同様に、当局はその経営を黙認しているようである。
しかしフランスでは近年、売春を廃止しようとする動きがあるようで、2012 年にフランソワ・オランド大統領率いる社会党が政権を握るようになってからは、売春廃止に前向きになり始めている¹⁹。2003 年のジャック・シラク大統領政権下の際には、受け身の客引き(売春スポットとされる公共の場で異性を誘惑するような露出の多い服装をして立っていること)を禁止する議案が提出され物議を醸したといいが、政権交代後の現社会党はこの法律に反対の立場をとっており、彼らはこれによって、売春婦が公共の場から危険な状況へと追いやられていると指摘している。このように、フランスの社会党は女性擁護の立場から、売春を廃止しようとしているようで、近いうちに売春が非合法化する日が来るかもしれない。
しかし、売春合法化が広がっているのは、ヨーロッパ以外の国や地域でも同様で、アジア・オセアニアではオーストラリア、ニュージーランド、タイ、シンガポール、インドネシア、台湾など、南米ではアルゼンチンやブラジル、アフリカではチュニジアや南アフリカ共和国などがあり、それぞれには個別の規制方針があるようだが、基本的に売春行為は認められている。
このように、ヨーロッパ社会だけでなくアジア、南米、アフリカなどでも、基本的に売春が合法化へと進みつつある現代において、日本では 1958 年に売春防止法が完全施行されて以来、売春は一応非合法となっている。しかし、前述のように、20 世紀末ごろまでトルコ風呂²⁰と呼ばれたソープランドなるものが、建前とは裏腹に売春と変わるところのない性的サーヴィスを提供していることは、もはや言及するまでもないことだろう。日本での売春廃止論を近年あまり聞くことがないが、2013 年 5 月 13 日、当時大阪市長であった橋下徹が、米軍普天間飛行場を視察した際に、「風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と同飛行場の司令官に対して話したことが問題となり²¹、これよって売春合法非合法論が少しばかり盛り上がりを見せたことは確かなようである。社会学者の上野千鶴子も 2013 年 6 月 7 日号の『週刊ポスト』で、売春は女性の人権侵害であり、廃止以外の結論はありえない、などと語っていたが、果たして彼女はどこまで廃止以後のことを考えられているのであろうか。売春や男性の性欲について非難するだけで、売春の存在を支える諸要因(貧困など)については解決策を一切提供せず、自己満足の感が否めなかった。ともかく、日本では現代ヨーロッパの売春合法化の風潮とは逆に、表向きでは売春を非合法としているわけであるが、その実、ソープランド等の本番行為を含めた、いわゆる隠れ売春に関しては黙認されているというのが実情なのである。
しかし、だからといって、売春合法化が世界の主流となっているわけではなく、北米のアメリカとカナダは売春を非合法としているし、ロシアや中国、アジアの大半の国々でも基本的に売春は合法化されていないようだ。だが、それらの国でも完全に売春が廃止されているわけではない。結局、どの国でも、売春は存在するのであり、国は明らかに見える部分に関しては、厳重に取り締まりを行うけれども、その実、見えない部分は黙認されているのがほとんどであろう。アメリカはこの点、かなり厳しく取り扱っているようだが、その反面、取り締まり方針は州によっても異なり、唯一ネバダ州ではある一定の場所に限っては、認可を受けた上で売春が合法化されている。
このように、世界中には売春に対してそれぞれ異なった意見を持つ国々が存在し、一方では、オランダのように完全合法化(ただし、どの国にも、基本的には売春営業の地区は定められている)していたり、また一方では、アメリカのように非合法として厳重に管理していたりと、おおまかに言えばそれは、合法、非合法、部分的合法、部分的非合法、といった形に区分することが出来よう。
次節では、その中でもとりわけ寛容な政策で売春を合法化させたオランダと、我が国日本の売春の現状を比較考察していきたいと思う。
第二節 オランダと日本
現代のオランダは非常に自由な国で、売春のみならずドラッグも合法化され²²、大都市に限ってはバスで各地域を巡回しながら、登録者に対して新しい注射器と麻薬、また、コンドームの配布も行っているという。もともとオランダがドラッグを合法化させた理由には(ドラッグの合法化はソフトドラッグのみで、ハードドラッグに関しては他国同様に厳しく取り締まっている²³)、HIV の存在があり、注射器の乱使用によってその罹患者が増えていたことが背景にあった。それに付随して、暴力団などの犯罪組織の拡大を防ぎ、また、高価な麻薬を手に入れるために行われるとされる犯罪(窃盗など)を減少させることが出来るとも考えられていたようである。
現代オランダは飾り窓などの紅灯地区で知られる売春合法国であるが、19 世紀から始まった女性運動の影響もあって、1911 年には売春宿が法律で禁止されていた。しかし、1960 年代に入ると、売春に対する姿勢が一変し、これはキリスト教政党から労働党へ政権が移行したことが影響していたと思われるが、売春婦たちが自分たちの権利を主張するようになり、1999 年には売春宿禁止の法律が廃止されることとなったのである。この翌年 2000 年にはオランダでの売春管理は地方当局に任せられることとなり、実質的に売春合法化が成立することとなった。こうして現代オランダの売春は、街で見かけられるような、他の職業と変わることのない正業として受け入れられるようになり、誰に恥じることもなく、社会保険を受けられるまでになったのである。
オランダでの売春には、おそらく日本でも多くの人が抱くであろう「賤しい職業」としてのイメージはなく、それは女性に与えられた一つの職業として、公的に認められているのである。アムステルダムには「売春奉仕短期大学」(実際には、個人が開いている塾のようなものらしい)なるものまで存在し、そこでは、簿記、税金対策、株式投資入門といった科目をはじめ、売春の歴史や誘惑術などといった実践的授業も必須科目となっているという²⁴。
だが、オランダでここまで寛容に売春が公認される理由とは一体何なのか。恐らく、その最も主な要因は、この売春という半永久的な命題に対する諦めに求められると思う。そしてそれに付随するように、性病等の伝性病を予防、売春婦の保護、国の税収確保などの諸要因が挙げられるだろうが、基本的にそれらの付属要素は売春撲滅に対する諦念を基盤として成り立っており、それだけがオランダの寛容さを裏付ける要因であるとは言えないだろう。また、オランダでは安楽死も合法化されており、人の生死といった極限的な問題に関しても、この国ではその人個人の自由選択を尊重する考え方があるわけで、オランダの「売春撲滅に対する諦念」も、こういった自由思想を前提としてあるのかもしれない。
一方日本では、何度もいうように、1958 年に売春防止法が完全施行され、これ以降、売春を搾取する行為等は禁じられることとなったが、売春行為自体に罰則規定は存在しない。1948 年には、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」が制定、1984 年に大幅改正され、キャバレーやクラブ、ゲームセンター等と同様に、性的サーヴィスを提供する性風俗関連特殊営業店も、各都道府県の公安委員会に届出をしなければならなくなり(厳密に言えば、性風俗関連特殊営業は公安委員会からの許可が必要)、営業地域も限定されたが、これはむしろ、ソープランドのような売春を半分容認する形になっただけであった。
しかし、売春防止法といった法整備がなされたものの、売春が日本から姿を消したことは一度もなかった。防止法以後は、トルコ風呂などとして経営が継続され、売春行為とされるものは客と従業員の「自由恋愛」という形で黙認されることとなったのである。現代では、デリヘル²⁵(デリバリーヘルス)、回春エステ²⁶、イメクラ²⁷(イメージクラブ)、オナクラ²⁸(オナニークラブ)、覗き部屋²⁹、デブ専³⁰、生理フェチ³¹、母乳フェチ³²、デッドボール³³などの、本番行為(売春)を伴わない様々な形態の性風俗営業も展開されることとなり、いわゆる「風俗嬢」とよばれる若い女性たち(性風俗店の種類によっては、必ずしも若い女性だけが働いているわけではない)、法に触れない範囲で性的サーヴィスを提供しているのである。
このような日本人の試行錯誤によって、我が国独特の性風俗産業が形成されてきたわけであるが、ここには、日本人が古くから有する性についての特殊性を垣間見ることができるであろう。すなわち、「日本人の性に対する奔放さ」という特殊性を、である。万葉人の時代から千年以上を経た現代でも、日本人が性を楽しみ、性を遊ぼうとする感性が失われていないという事を、21 世紀の性風俗は物語っているのかもしれない。ただ、どれだけ日本が独自の性文化を発展させてこようとも、明治維新以後、西洋文化の急激な流入に対してすぐには順応できなかった日本人たちは、19 世紀後半から世界で力を得るようになった女性解放運動の影響からも逃れることは出来ず、やがて彼らは欧米列強に対して劣等感を抱くようになり、廃娼運動に同調するようになったのである。
西ヨーロッパの一国であり、江戸時代には唯一欧州で日本と交易を行っていたオランダと東アジアで独自の民族文化を築き上げてきた日本。彼らは共に近代のフェミニズムに影響されながら廃娼運動に賛同し、20 世紀初頭から中期にかけて、それぞれの国で法律を整備するようになったが、第二次世界大戦終結後から 20 年も経つと、オランダは日本とは正反対の政策をとるようになっていた。これは恐らく、オランダでは宗教よりも人権がより尊重されるようになった、という事を表していると思われ、つまり換言すれば、宗教という桎梏から逃れた売春婦たちが自分たちの正当な権利を追及できるようになったということである。
女性解放運動の中では、貧困に苦しむ女性たちが問題にされることよりも、それは運動に携わった、生活的余裕のあるような中流階級女性のプライドが大きく作用していたわけで、売春撲滅といった彼女たちの言動の多くは自己満足的なものでしかなかった(ただ、中にはジョゼフィン・バトラー夫人のように、売春の完全廃止に反対していた人々もいた)。日本でも、運動家たちは売春婦たちを賤しい身分の者としての呼び名を与え、売春の廃止にのみ重きを置いて、その事後処理に関してはあまり考えることをしなかった。このおためごかしの運動の中で、結局のところ売春婦たちは侮蔑の対象として取り扱われ、彼女たちのほとんどは女性たちにさえ見捨てられていたのである。
オランダでは、正当な立場を失っていた売春婦たちが立ち上がり、自分たちの権利を主張するようになったわけだが、日本ではそういった運動が起こることはなかった。我が国では昭和 33 年に売春防止法が完全施行に至るまで、国会で何度も審議が行われていたようだが、当時の国会議員たちの売春婦に対する解釈はあまり公正と言えるものではなかったようである。というのも、国会議員、特に戦後から徐々に増えだした女性議員たちの発言は、売春婦の存在を彼女たちと同じ女性としてみなしていないように聴きとられるからである。たとえば、日本社会党左派の神近市子は「4000 万人の主婦の生活を守るために、50 万人と推定される売春婦の処罰はやむを得ない」と言っていたといいし、無所属参議院議員の保守系院内会派「緑風会」の宮城タマヨも「日本の街の女、あるいは集娼窟(赤線地帯)の女にいたしましても、実に彼らは、口々に政治の貧困を唱えながら、(中略)女で最高の収入者である、婦人議員どもどうだ、負けだろう、そういう実に不謹慎な態度をいたしております」というふうに話していたようで、ここから彼女たちが売春婦と対等に向き合おうとする意志を感じることは難しいと思う³⁴。現代でも、社会学者の上野千鶴子が、売春は絶対に廃止すべき、男のやりたいという気持ちが一切理解できない、女性の権利を侵害している、などと言っているようだが、彼女のことばからは真剣に問題に向き合うような姿勢というよりはむしろ、一世紀昔のエゴイズムのようなものが読み取られるかもしれない。
このようなオランダと日本の売春問題に対する方針の相違は、そもそも、この一連の政策の土台となるそれぞれの問題理解が根本的に異なっていることに起因していると言えるであろう。つまり、オランダの観点からすれば、ある一つの問題はそれを排除することによって解決されるべきではなく、その問題の影響力を最小限に制御しうつ如何に管理すべきか、ということが重要なのである。日本はまさしく、この前者である問題排除型の解決策を採用しているのであり、我が国と問題管理型であるオランダの二国がこういった問題対処手段の採用の段階からそもそも異なった理解の下に行動しているのだということがわかるだろう。
このように、そもそもオランダ人と日本人は思考の段階から異世界の住人同士なのであり、それは売春だけでなく、ドラッグや安楽死という問題に向き合う際にも、それぞれが大きく違った結論を出す所以であると言えるだろう。つまり、オランダはこのような寛容政策(gedogen)を「制御」の思想から導き出し、一方日本は問題を排除するための禁止政策を、いわば「恥」の思想から編み出した、ということなのだ。両者は問題を解決しようとする点においては槽を並べているものの、その取り組みのベクトルに関しては別の次元、むしろ正反対を向いていると言えるのである。
第三章 総合的考察
近代末までの日本とヨーロッパ・アメリカ社会における売春産業の違いは、宗教の存在、殊に、それがどれだけ性生活に干渉するのかという差にあると言える。欧米で力を得たカトリック・プロテスタント文化がセックスを悪とみなす一方、日本の宗教ではそれはもっと寛容に、一種の遊びのようにヨーロッパされていたのである。宗教というものがどれだけ力をもって、人類、特に近代までのヨーロッパ社会の性生活に影響をもたらしたのかを想像することは難しくないであろう。しかし、19 世紀になるとジェンダーの問題が人権の問題と繋がって、やがて女性解放運動における非常に重要な問題として大きな論争を巻き起こしたわけだったが、それが現代になると、例えばオランダのように、ジェンダー問題の象徴的事象である売春は、女性が胸を張って働くことのできる正業の一つとして認められるようになったのである。現代にもアメリカのように、宗教に根差した道徳的観念から売春は撲滅されるべきだとする国はあるが(その中にはエゴイスティックな女性解放運動的の思想も作用していることであろう)、オランダのような問題管理型を採用している国では売春問題は宗教的見地というよりもむしろ、人権的見地から解釈する傾向の方が増えてきているように思われる³⁵。
先にも書いたように、近年世界では売春を合法的に許容する国が増えてきており、この半永久的な職業に対する諦念や性病などの伝染病の管理に加えて、貧しい売春婦たちの人権を保護するためにも、宗教的な理想論ではなく、現実的にこの問題を受け止めようとしたことが、この現状に現れているのではないだろうか。この傾向は特に現代ヨーロッパ社会に表れ、オランダやドイツのように売春を正業の一つとして認めるような国もあれば、イギリス、フランス、イタリアのように売春婦を搾取する行為に関しては認めないが、売春行為自体は合法とされている国もあり、その規制方針は国ごとにまちまちではあるけれども、彼らは基本的に売春婦を擁護する立場にいるのである。
アメリカ合衆国はネバダ州を除いてこれの正反対を行き、売春婦も売春搾取も罰し、売春というカテゴリー自体を忌み嫌っている代表的な国であると言えよう。ロシアや中国、日本などのアジアの国々でも、売春は非合法とされているが、その実、どれだけ統制を加えようとも消滅しないのが売春なのである。おそらく、そのほとんどが宗教や道徳的な動機から、それぞれの政策を打ち出したのだろうが、日本ではあまり宗教色がなく、明治期の西洋に対する「恥」の意識や当時流行した女性解放運動が、日本における売春政策に関係していたと考えられる。しかし結局、彼らの政策が功を奏したとはゆめゆめ言えないだろう。
無論、合法にするか、非合法にするか、どちらの政策が優れているのか、といった問題に対して、一口に結論を出せないのは確かである。結局のところ、何が優れていて何が優れていないかという事も、そもそも一つとして同じ国や文化は存在しないのであるから、その国の法律はその国の文化や民俗性に適合したものを採用すべきだと思われる。しかし、物事は非合法にすればするほど、それに関する犯罪が増加するのだ、と歴史が物語っているのも看過してはならないだろう³⁶。
このような世界の売春に対する態度を概観すると、我が国日本の立ち位置も、単純に売春非合法国であると言ってよいのであろうか。というのも、日本はアメリカや中国と同じように、売春を合法化していないにもかかわらず、吉原ソープランドで行われているような、「自由恋愛」と称した売春を黙認しているのである。これは理屈でいえば、「自由恋愛」を罰する法律自体が存在しないために取り締まれないのであるが、もっと根本的な点において、そもそもこれには日本人の性に対する価値観が少なからず働いているように思われないだろうか。50 年以上前に成立した売春防止法も、当時自由民主党が女性票を集めるために、それまで反対していたのを賛成に切り替えたのであって、それは本来日本人という民俗性には適合していない法律であったと言えなくもないだろう。歴史を振り返ってみても、売春に関する問題は(売春ではない問題にも該当すると思うが)、その当事者たちの声ではなく、いわゆる偽善とも言える形式主義者たち³⁷が勢いに任せて、問題解決に取り組んでいるように見せかけていただけのように思われる。そう見せかけることによって、自民党は女性票を集めようとしたのであり、そこには本格的に構築された内容はほとんどなかったのではないだろうか。売春婦と対等に向き合う姿勢を持たなかった議員がいるような中で、本質的な議論などできなかったであろうが。
日本の性に対する寛容さは、日本人自身には気付きにくいものかもしれないが、外国人が日本へ来れば、コンビニエンスストアで堂々と成人雑誌が陳列されてあるのを見て驚かない人は少ないだろうと思う。日本における性的な領域とはもはや日常の範囲内にあり、それは誰もが手にすることが出来る、一般的なものなのであろう。世界を見渡せば、性に関して特殊な性質を持った国はなにも、日本だけではないことが分かるだろうが、この国がこの国独自の性文化を形成してきたことには間違いないだろう。それをどう評価するかはそれぞれの立場によって異なることであろうし、そもそも、評価とは何かの基準に従って相対的に判断することであり、それは自分の絶対的な存在価値を見過ごすことに繋がりかねない。つまり、本来自分の持っている大切な部分が失われてしまうかもしれないのである。それを防ぐためにも、このグローバリゼーションが本格化する世界において、全てが同じであり、同じものには平等なルールを設けなければならない、という考え方に拘泥することなく、それぞれの独自性を尊重しつつ、それに適合した生活様式を模索していくべきなのではないだろうか。
注
1. バーン&ボニー・ブーロー 香川檀、家本清美、岩倉桂子訳(1991)『売春の社会史』筑摩書房 p.18
2. 『売春の社会史』には “Ivan Bloch, Die Prostitution, 2 vols. (Berlin: L. Marcus, 1912), 1, p.38.” が参考資料として記載されている。
3. 日本では売春防止法において、売春行為は一応違法であるとされているが、罰則規定は設けられていない。しかし、例えば売春非合法国のアメリカでは、懲役もしくは罰金を科している。詳しくは以下のウェブサイトを参照のこと。
- 違法だけれど罰則なし『売春防止法』が売春した人を処罰しないワケ | 弁護士ドットコム
- US Federal and State Prostitution Laws and Related Punishments
4. 古代から西洋では、男性の放蕩はやむを得ないが、女性のそれは許されないと考えられてきた。これには女性を財産化し、道徳的に批判を受けることはあっても、社会的追放にまで追い込まれることは稀であったと思われる。時代を経るにつれて、男性も姦通に携わった罪で罰せられるようになったが、女性が性に積極的になることには依然として眉を顰められた。なお、姦通とは、お互いが同意の上で行外性交渉を持つことを指し、これは強姦とは異なるものである。レイプや強姦は厳しく罰せられていた。
5. バーン&ボニー・ブーロー 香川檀、家本清美、岩倉桂子訳(1991)『売春の社会史』筑摩書房 p.350
6. 避妊具の発達により妊娠や堕胎の手間が省け、売春婦一人一人が男性客を相手にできる人数が増えただろうし、また、売春宿などの多くの売春婦を抱えるような場所では、避妊具が発達する以前ほど売春婦調達に悩まされずに済んだと思われる。
7. 遊君別当とは、遊女を統制するために設けられた官職のことである。鎌倉時代の遊君別当は日本初の公娼制と考えられ、考案人は鎌倉幕府の政所初代別当であった大江広元であったとされる。ただし、日本初の公娼制に関しては、これを室町時代の傾城局に求める説や、安土桃山時代に豊臣秀吉が京都に遊里を公認したのが最初だとする説もある。
8. 本論文では、「娼婦」と「遊女」をほとんど同様の意味合いで捉えており、「娼婦」というカテゴリーの中に、娼婦としての「遊女」が分類されていると考えていただければよい。「娼妓」に関しては、特に明治以降の遊女として扱っている。
9. 岩永文夫(2011)『フーゾクの日本史』講談社+α新書 p.36
10. 中山太郎(1956)『売笑三千年史』ちくま学芸文庫 pp.317-319
11. 1657 年(明暦 3 年)、旧吉原は元の場所から北へ移転し、現在の東京都千束(浅草寺の北側)に新吉原が築かれた。
12. 江戸時代の地方農地では、家督相続が基本的に長男に委ねられていた。また、長男が夭折したときのために次男を持つことや、男の子が生まれなかった時には、養子に出せるよう長女を置いておくことも一般的だったようだ。それ故に、女の子や次男以降の男の子は出稼ぎ奉公や遊女として都市へ売りに出されたり、間引きされたりすることがしばしばあった。
13. 中山太郎(1956)『売笑三千年史』ちくま学芸文庫 pp.592-594
14. 「ちょっとした高級ブランド品を買うための一時的なお小遣い稼ぎに風俗売春を利用できる現代」と言っているが、これについては以下のウェブサイトを参照のこと。
15. 1876 年にジョセフ・エドモンドソンによって英訳されたトーマス・ボレル『ヨーロッパの白人奴隷』(Thomas Borel, The White Slavery of Europe)によってこの言葉が一般化されるようになったという。
16. 『白人少女 1400 人レイプ』異様な売春犯罪を常態化させた英国移民社会の裏側」(ページを確認できませんでした)
17. 「赤字削減へ『快楽税』、ドルトムント市が売春婦に課税」(ページを確認できませんでした)
18. 「イタリア政府、売春規制のため『赤線地区』の設置を検討」(ページを確認できませんでした)
19. 「社会党政権のフランス、売春根絶へ―禁止か許容か」(ページを確認できませんでした)
20. トルコ風呂の前身は、1951 年に東京東銀座に開店した「東京温泉」であるとされる。当時は単純に女性が着衣のままでマッサージを行っていただけで、性的サーヴィスは一切なかった。しかし、売春防止法施行後にこのトルコ風呂が盛んに売春が盛んになり、1985 年にトルコ人青年が、売春施設に自国の名が使われている、とトルコ大使館を通して苦情を申し立てたため、施設はソープランドに改称された。
21. 当時大阪市長であった橋下徹が、慰安婦や売春といった日本では違法とされる行為を容認するような内容の発言をしたことが問題となった。 「『もっと風俗活用を』と橋本氏 凍り付く沖縄の米軍司令官」(ページを確認できませんでした)
22. オランダでは 1960 年代から薬物問題の取り組みが本格化し、薬物分野や法学分野からの専門家からなる委員会が立ちあげられるようになった。やがて 1979 年にはコーヒーショップにおいて薬物の販売付きで合法化し、1996 年にはソフトドラッグに限って完全に合法化されることとなった。
23. ソフトドラッグは主に、大麻、マリファナ、マジックマッシュルーム等で、身体的・精神的中毒性が低いドラッグである。ハードドラッグは主に、ヘロイン、コカイン、覚醒剤等で、身体的・精神的に深刻な中毒性をもつドラッグである。
24. 太田和敬、見原礼子(2006)『オランダー寛容の国の改革と模索』寺子屋新書 pp.44-45
25. デリバリーヘルス。派遣型のファッションヘルス。男性客の自宅やホテルなどに女性従業員が派遣される。ファッションヘルスとは、一般に女性従業員が男性客に個室で性的なサーヴィスを提供する風俗店の一種。
26. 性感マッサージ。全身及び陰部の性感帯を刺激することにより、性交時の快感を高めることを目的としたマッサージを提供する風俗店の一種。
27. イメージクラブ。女性がセーラー服やナース服といったコスプレをするだけでなく、女教師や CA(客室乗務員)となってストーリー性を持った性的サーヴィスを提供する風俗店の一種。
28. オナニークラブ。女性従業員が男性客のオナニーを見てくれる風俗店の一種。
29. マジックミラー越しに女性従業員のパフォーマンス(全裸のダンスやオナニー)を見ながら、男性客がオナニーできる風俗店の一種。
30. 太った女性が在籍する風俗店の一種。
31. 月経中の女性が相手をする風俗店の一種。
32. 妊婦や出産直後の女性が在籍する風俗店の一種。
33. 外見上、あまり評価できない女性が在籍する風俗店の一種。
34. ここで紹介した神近市子と宮城タマヨの発言に関しては以下を参照のこと。 中村敦彦、勅使河原守(2015)『職業としての風俗嬢』宝島新書 pp.51-52
35. 私は、本論文において、女性解放運動のほとんどは人権運動として捉えるべきではないと考えている。というのも、人権とは、基本的生活水準の約束と個人の自由の尊重を基盤として成り立っているのであり、女性解放運動家たちの、一方的に売春を排除するだけで後のことを考えない一種のエゴイズムは、売春で働かなくては生きていけない女性たちやそこで働きたいと思っている女性たちを無視している時点で、人権運動にはなりえないのではないだろうか。それ故に、ここで言う人権的見地とは、ジョゼフィン・バトラー夫人のような、社会が抱える貧困や職業選択の自由についても考えを巡らせたうえで、問題解決に取り組もうとする立場を表している。
36. 中世ヨーロッパでは、たとえば、フランス王ルイ 9 世が 1254 年に、売春婦とそれを搾取する者すべてを国家の法律の保護から外すという政策を行ったが、これによって性のはけ口を失った男たちは、品行方正な家庭の妻や娘を狙い始め、挙句、それが犯罪に発展することもあったようである(バーン&ボニー・ブーロー 香川檀、家本清美、岩倉桂子訳(1991)『売春の社会史』筑摩書房 pp.201-202)。現代でも、児童ポルノ規制には未成年への性犯罪を助長させる効果があるという調査結果が出ており、抑圧規制は問題解決としては適当ではないということをこの結果が示唆している。詳しくは以下のウェブサイトを参照のこと。 「児童ポルノ規制による性犯罪の増加」(ページを確認できませんでした)
37. すべての人が偽善的であったとは言わないが、これは女性解放運動だけでなく、あらゆる抗議、デモの運動に参加する、多くの人々の行動に共通しやすいものだと思われ、彼らはいわゆる形式主義者という側面を持っており、行動という形式自体に意味があると勘違いするために、その内容や理由が蔑ろにされやすい傾向があるのではないだろうか。勿論、何度もいうように、そういった活動を行うすべての人間が偽善的であるわけではなく、確固とした問題意識を持って組織的に活動している人もいるのである。
参考文献
- バーン&ボニー・ブーロー 香川檀、家本清美、岩倉桂子訳(1991)『売春の社会史』筑摩書房
- ロナルド・ハイアム 本田毅彦訳(1998)『セクシュアリティの帝国―近代イギリスの性と社会』柏書房
- 石田久仁子、井上たか子、神尾真知子、中嶋公子編著(2013)『フランスのライフ・ワーク・バランス―男女平等政策入門:EU、フランスから日本へ』パド・ウィメンズ・オフィス
- 岩永文夫(2011)『フーゾクの日本史』講談社+α新書
- 太田和敬、見原礼子(2006)『オランダー寛容の国の改革と模索』寺子屋新書
- 加来耕三(2015)『性愛と結婚の日本史』祥伝社黄金文庫
- 小島優、原由利子(2010)『世界中から人身売買がなくならないのはなぜか?』合同出版
- 小谷野敦(2007)『日本売春史―遊行女婦からソープランドまで』新潮選書
- 高崎ケン(2009)『アムステルダム―裏の歩き方』彩図社
- 中村敦彦、勅使河原守(2015)『職業としての風俗嬢』宝島新書
- 長坂寿久(2007)『オランダを知るための 60 章』明石書店
- 中山太郎(2013)『売笑三千年史』ちくま学芸文庫
- OUT of TILOLU>世界の売春(ページを確認できませんでした)
- 日本最古の女性生活の根底 | 折口信夫(青空文庫)
- 金川麻里(2009)「今日的売春の法規制―売春規制の歴史と現代的売春規制」龍谷大学学術機関リポリトジ(ページを確認できませんでした)
- 売春・買春の項目「部落問題・人権辞典 ウェブ版」(ページを確認できませんでした)
- 「売春防止法(昭和三十一年五月二十四日法律第百十八号)」(ページを確認できませんでした)
- 「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年七月十日法律第百二十二号)」(ページを確認できませんでした)
- 明治 33 年 9 月 5 日の二六新報より(ページを確認できませんでした)